情報過多社会の中で資本主義から本質主義へと切り替える方法

 

こんにちは。人生青色 青峰です。

 

たった一つの身近な疑問が世界の本質に繋がった話。対処療法と根本的解決に溢れる資本主義システム | 人生青色

 

では問題点を上げたのですが

「では、どの様に生きれば良いのでしょうか?」

という質問も頂きました。

 

あくまで僕自身の考え方なのですが

資本主義ではなく本質主義に生きる為の自分ルールをお伝えします。

 

 

本当にお金が欲しいのかを考える為のルール

 

資本主義なので「お金が欲しい」と思うのは

ある意味当然の流れになりますが

 

まず、本当にお金が欲しいのか?

 

という事にまず疑問を

持たなければいけないと考えています。

 

今はもう思うことは無いのですが

僕がお金が欲しいと思った時にはこう考える様にしていました。

 

「今、自分がテーブルの前に座っている

 目の前に1億円あり、毎日1億円増えていく

 でも、椅子から離れてはいけないとなって幸せか?」

 

僕は全く幸せではありません。

 

でも、お金が欲しいというのは

こういう事を言っているのと同じです。

 

なので、

「毎日仕事が忙しくて何もする隙がない」

と何が違うのか?

 

という事になります。

むしろ、仕事が忙しい方がまだ幸せかもしれません。

 

 

この質問を問いかけた時に

 

「そうか、お金が欲しいのではなく

 その先に視える世界が欲しいんだな」

 

という事が理解できた時

資本主義から一歩外に踏み出す事が出来ました。

 

ただ、注意点としては

一歩踏み出しても「これをするにはお金が必要」となってしまい

本来の目的を見失ったら再び資本主義に飲まれてしまいます。

 

 

基本的にそれも有ると考えるけれど、考える事はやめない

 

霊的なもの、占い、理解の難しい理論等

僕自身はどんなモノも「ある」と考えて生きています。

 

ただ、信じると「有ると考える」は別です。

 

自分の中で納得をして

中身が理解できないかぎりは信じられませんが

「ない」と思うことはありません。

 

「信じられるまで」は考え続けるという表現が近いでしょうか。

 

そもそも、自分の知っている事は

世の中の1%にも満たないと思っているので

知らなくて当たり前です。

 

なので、基本的には何でも有ると思うし

自分にとって必要が無ければ関わる事はないでしょうけれど

それでも、有ることには変わりないです。

 

それが僕にとっては

料理のレシピも(料理できないので)霊的なものも(見えないので)

あるけれど、関わることは今のところ無いという意味で同じです。

 

ただ、必要な場面になれば

あらゆる可能性を考える為に「ない」という判断はしないです。

 

 

なぜ?という引っ掛かりや違和感を流さない

 

僕自身は生活していたり、人と会話をしていたりすると

しょっちゅう「引っかかったり、違和感を感じたり」します。

 

多くは

「今まで見たことが無いものが目の前にあったり」

「筋が通ってないように聞こえたり」

した時なのですが

 

これをその都度「クリア」にする様にしています。

 

「なぜ?」を「これ」というモノが見つかるまで何回も繰り返す

 

という事を大切にしています。

 

元々、物理をしていた事もあってか

モヤモヤとしたまま放っておくことが出来ない性格でもあるのですが。

 

 

何となく出てきた答えで納得していくと本質には辿りつけない

 

自分が「これ」というものが

「妥協」で出てきたものだったら

更に深く掘ります。

 

「まぁ、これくらいで良いだろう」を重ねると

「本質」からずれていきます。

 

真理は本質の重ねあわせで到達するのですが

その本質の定義が曖昧だと真理も曖昧。

 

結局「何も分からない」と同じになってしまいます。

 

 

依存せず、すべて自分の責任として判断すること

 

本質に繋がる様に書いているこの文章なのですが

それでも「この文章に」依存しないで考える必要があります。

 

「この文章にこう書いているから」という時点で

自分で考える事を放棄しているからです。

 

どれだけキチンとした誰が話をしていたとしても

それは、あくまで「他人」が言ったこと。

 

なので、この文章に書いてある事は

 

「信じて欲しい」と思いながら

「信じないで欲しい」と考えている

 

そんな矛盾した様な内容ですね(笑)

 

でも、本質は自分で考えて見つけるものなので

やはり、「他人に任せず自分で考える事」は必要です。

 

本質をいくつも繋ぐことで

真理が見えてくるので

 

この部分を徹底して出来るかどうかに

本質主義は掛かっています。

 

そして、真理が視えると世界が変わり

本質主義へと進むことが出来ます。

 

 

真理が一つだけでも視えれば本質主義へ

 

自分の得意な分野や

興味のある分野で真理を見つけることが

 

世の中の本質を見極める事に繋がると思います。

 

たった一つの身近な疑問が世界の本質に繋がった話。対処療法と根本的解決に溢れる資本主義システム | 人生青色

 

では、その一つの例として「病気」に焦点を当てたのですが

これがプログラムでも、年金でも、教育でも、映画でも、テレビでも

 

最後は同じ所にたどり着きます。

 

そして、そこまでたどり着くと

同じ様に世界が見えるので

 

あとはその中で選択をしていけば

自分の人生をコントロールする事が出来るようになっていきます。

 

この状態を「本質主義」と呼んでいます。

 

ここまで行くと

相手が何を言ってきても「本質としてこれが言いたい」

という事が視えるので相手を理解できますし

 

自分としても

 

「これがやりたい」を明確に出来ますし

「これが伝えたい」という部分を伝える事が出来ますので

 

自分の思うように物事が進みます。

 

 

本質から視える真理の世界に入った状態になると

「スピリチュアル」に見える様ですが

 

「最も筋の通った世界」というイメージですので

それとは別なのかなと。

 

その真理の世界は自分の中で出来上がらなければ

やはり意味が無い事です。

 

本当に突き詰めればすべて「人が真理」

これを聞いても「当たり前」と言う人の方が圧倒的に多い。

 

だからこの「当たり前」に向き合った人が

「真理」にたどり着くのかなと考えています。

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ABOUTこの記事をかいた人

青を仕事にしている青の人。生まれた時から青好きで青に好かれ、持ち物一式青色です。青好きの記事は検索1位になり、青い財布の話はYahooニュースになりました。そして、ANAから仕事が来た時から「青が仕事」に。世界中の青を通訳するのが使命。