幼児教育、英才教育は意味がない?三つ子の魂百までの考察

 

人生青色 青峰です。

 

「幼児の時に海外に連れて行っても意味がないのでは?覚えていないでしょうし」

 

という話を受けました。

「英才教育の効果は殆ど無い」

という研究結果のニュースも出ていました。

 

教育に正解は無いので

どちらも否定するつもりもありませんが

僕自身の考えとしては「三つ子の魂百まで」という言葉にすべて集約されるのでないかと

考えています。

 

 

三つ子までに経験した事が種となる

 

三つ子の魂百までという言葉の意味は

3歳ごろまでに形成された性質・性格は、100歳になっても根底は変わらない

 

という意味で言われていますが

 

僕は

「性質・性格」という部分は

その人の「役割」で決まると考えているので

 

3つまでに経験した事が「その人の能力のベースを作る。」

 

という意味だと捉えています。

 

 

子どもの成長の捉え方

 

子どもの成長を見ていると

ある日突然、何かが出来るようになります。

 

とくに顕著なのが「言葉」

 

話し始めるとそこからは早くて

コップと水に例えられます。

 

コップに言葉の種という水が溜まってきて

溢れ出した時に話し始める。

 

 

これを知った時、言葉に限らず

子どもの能力というのは

ある程度、経験値が溜まってきて

一定のラインを超えた時に目に見えて現れてくる

 

と考えるようになりました。

 

 

という事は

 

「目に見えて何かが現れなくても子どもは溜め込んでいる」

 

という事になります。

 

 

この溜め込んだ状態を「種」と僕は呼んでいるのですが

この種こそがその子の才能を決めるように思うのです。

 

 

 

才能って何で決まるのか?

 

才能がある、ない

 

という話題がよく出るのですが

その差というのは数%以内だと思っています。

 

なので、イチローと僕自身の能力も違いは数%程度

 

つまり1%の差が大きな差を生んでいると考えています。

 

なぜなら現状では脳も数%しか使えていないし

筋肉も常に力をセーブしている状態です

 

チーターの様に走れる人も居なければ

ゾウの様にパワーを出すことも出来ません。

 

という風に考えたら

元々、同じ人間

それほど差が生まれるようには思えない訳ですね。

 

これを前提に考えると

才能って

 

「僅かな伸びの差」

 

 

性質として「向き不向き」が加わる事で

他人が伸びしろを感じるモノ。

 

そして、その伸びやすさというのは

幼児の時の体験や経験で出来た種が影響している

 

ので、それに性質が加わるかどうかで

才能って決まるのかなと。

 

 

例えば

 

伸びしろが物凄くあっても性質として向いてなければ

伸びないですし(すでに上手いけれど練習しない人のパターン)

 

伸びしろが無くても性質として向いていれば

少しずつは伸びていく(努力して伸びていく人のパターン)

 

伸びしろが物凄くあって向いていると

早く伸びていく(才能がある、天才と言われるパターン)

 

といった具合ですね。

 

 

種は成績では測れない

 

種は伸びしろですので

成績では測れるものではないと思います。

 

幼児教育をした人とそうでない人の成績を測った所で

種と能力の関係を考えると測ることは難しいのと

 

分かりやすい英才教育というのは

いわゆる「勉強」であって「体験」でない事が多いです。

 

子どもの頃の記憶が思い出せないのは

忘れている訳ではなく頭の中から引き出せないだけ。

 

つまり、勉強して「頭で覚えた」事は役に立ちにくいですが

体験は「体が覚えている」ので引き出す必要が無い。

 

この体験こそが種なのかなと。

 

 

音感という意味では昔から音を聞いている子どもの方がありますし

 

運動神経というのも子どもの時にどれだけ外で遊んだ経験があるか

 

で、決まっている。

 

こう考えるとしっくり来ることが多いです。

 

 

本当の英才教育とは早いうちにどれだけの体験をさせられるか

 

英才教育とは早いうちから

英語の勉強をさせるとかではなくて

 

英語を習得させたいなら「英語の環境を体験させる」

パソコンに強くなって欲しいなら「パソコンに触れる経験をさせる」

味覚を鋭くしたいなら「美味しいものを食べさせる」

 

という体験をどれだけさせられるか。

 

ということに尽きると思います。

 

それが3歳になるときまでに

どれだけさせてあげられるかで種の大きさや数が決まって

それが魂として100まで続く。

 

それが三つ子の魂百までという意味であり

幼児教育や英才教育をするにあたっての教訓なのではないかと

 

最近、話し始めた青空くんを見て思います。

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ABOUTこの記事をかいた人

青色一つで世界と日本を繋ぐブルークリエイター。シンガポール在住。信頼と本質を第一にして、日本と海外、オンラインとオフライン、投資とビジネス、それぞれのネットワークをフルに活用してあらゆる業種の人と一緒に次世代の日本人ネットワークを構築し、青い和を持つ日本人を復活させるための青和人プロジェクトを進めている。