信じる事で見えてくる世界と疑うことで見えてくる世界

 

人生青色 青峰です。

突然ですが、人に会った時

 

「信じてかかる方」ですか?

「疑ってかかる方」ですか?

 

僕の個人的な統計としては

基本的に疑ってかかる人が殆どかなという感じがします。

 

疑ってかかるけど

「都合の良い事だけは信じる」人も

その中にはいらっしゃいますが

 

赤の他人については信じない

 

という事が言えるのかなと。

 

最近、色々な方と話してみて気づいたのですが

僕は「青の他人」とでもいうのでしょうか

 

「基本的に人を信じる」

 

というスタンスで動いている様です。

 

なので

「何か騙されてんじゃないの?」と言われる状況でも

基本的には信じているし

 

相手が

「僕が嘘を言っていたらどうするんですか?」

と聞かれてもやはり信じている。

 

そんな状態であるんだなと思いました。

 

単純に僕は「人を信じたい」からそうしているだけで

疑ってかかる事が間違っているという訳ではないのですが

 

今日はその信じて視えた世界の事を

書いてみようと思います。

 

基本的には人を信じて生きています

 

僕は基本的に相手の言う事を信じて話を聞いています。

 

「◯◯をいつまでにやる」

 

とか

 

「〜〜が遅れているから、今は出来ないんだ。ごめん」

 

とか

 

約束事でも言い訳とも言える事でも

基本的に信じます。

 

そして、信じたとおりに相手が動いてくれたら

「信じた様に動いてくれてありがとう」

という様な状態になるのです。

 

以前、人はなぜ騙されるのか?

という事で書いたのですが

 

僕が人を信じるという事は

自分が信じると視た目を信じている

わけでして

 

相手にそれが正しかったと証明してもらった

という様な考え方で視ています。

 

僕が今まで見てきた中では

 

「信じた結果になる事の方が多かった」ですから

 

たぶん、このまま進んでいくのだと思います。

 

 

人を疑ってみていく世界

 

人を疑ってみていく方法は「失敗」を防ぐ事に繋がります。

 

特に

人に何かを任せる時

人から何かを聞いた時に

 

「失敗をしたくなければ」

 

人を疑ってかかる事で

失敗しにくい環境を整える事が出来ます。

 

なので失敗をしたくないなら

人を疑い進めていく事でそれは達成できるでしょう。

 

どちらが良いと言うわけでも無いのですが

経験的には人を疑う人の方が多いように思います。

 

 

人を信じる事は悪くない

 

人を信じるのは悪いことではないと

僕は思っています。

 

ただ、子どもの様に

無条件で信じるというのは一番良くないですが

 

信じたことで裏切られても傷つくのは自分で済みますが

信じなければいけない人を信じられ無かったら傷つくのは自分ではなくて相手ですから

 

相手が傷つくくらいなら自分が傷ついた方がいいというのが根底にあり

 

基本的には相手を信じることにしています。

 

 

信じられる所までとことん信じる

 

実際の所で言えば

嘘をつかれていると感じる事もありますが

 

僕自身は基本的に人は善であると思っていますので

 

「きっと理由があるのだろう」

 

という目で信じるようにしています。

 

なぜ、相手が嘘をついているのか?

 

その理由がハッキリするまでは相手を信じていようと思うわけです。

 

なぜ、そう考えるのか?

という事を説明するために一つの例を上げますと

 

ある病気の人がいて

その親戚の人はその友人に「来月良くなるから」と嘘をついた。

さて、この時に

 

親戚の人が嘘をついたから

 

信じられないと考えるのか?

訳があるからと考えるのか?

 

という事ですね。

 

この場合は「何か理由があるのだろう」と思って深くは突っ込まないですよね。

 

ただ、これが病気の人へ友人を会いにこさせない為の

悪意のある嘘だとしたら

 

この親戚の人は信用できないという判断になります。

 

ただ、基本的にはやはり善でありますから

僕はその親戚の人にとっての善は何かというのは視て

そこから自分はどうするのか?を判断するようにしています。

 

善悪の区別は人によって違うわけで

それは自分の基準でしかありませんので

それを強制する事を他人がすることは出来ないからです。

 

 

疑って切るというのは簡単

 

相手が怪しいと感じた時に「そんな変な動きをするなら切る」と

関係を切る人も居ます。

 

それはそれで間違っていません。

判断としては早いですし

 

経営者として次へ次へと決断をしなければならないならば

一つの考え方としてあります。

 

ただ、ほんの少しのミスが「切られる」という理由になるために

一緒に仕事が出来る人は必然的に少なくなりますし

関わっていく人へのプレッシャーは相当なものになります。

 

プロフェッショナルな人であれば出来るので

周りはそういう人たちに溢れますが人間関係は育ちません。

 

例えば、伸び盛りの新入社員相手にやってしまったとしたら。。。

 

というのと同じ状態ですね。

 

疑って切るという事は

失敗する可能性を減らすことは出来ますが

人が伸びる可能性も減らしてしまう事に繋がりますので

 

考えた方の違いではありますが

人の可能性を信じたい僕としては疑って切るという事は

避けたいなと思っています。

 

 

信じる事で見える世界

 

相手を信じていると

 

基本的には相手に対して疑いの目を持たないことになるので

相手としては居心地が良い

 

という状態に自然となるようです。

 

親が子どもにするように

 

どんなときも最後まで味方だった人

 

となってきた時には

やはり、その先には感謝の意があったり

 

信じてもらった分、相手を信じよう

 

にも繋がり

信じあった信頼関係みたいな事が出来上がります。

 

 

そういう意味では

 

長い目で視た時

信じ続ける方が自分に返ってくるモノは大きいと考えています。

 

信じている人に裏切られたら

確かに傷はつきますが、傷つくのは自分だけですし

 

それさえ回避したり耐えたりすれば

僕は信じ続けても良いんじゃないかなと思うんです。

 

信じている人を裏切るという事は

本来、人としての流れには逆らう事ですから

 

それで得られる

一時的な金銭とか名声はありますが

2度とは起きません。

 

一時的な人間関係の元に行われますから

毎回、創り上げては壊すことになって

長い目で見た時にはとても大きなロスをすることになりますので

 

そうするしか無いならそうすれば良いと思いますが

大かれ少なかれその人には何かしらが返ってきます。

 

常にあると言う世界

 

相手を信じるというスタンスで居ると

 

他の人に言っても信じてもらえないと言われる事実

常識ではありえないと言われる事

 

も含めた情報が入ってくるようになります。

 

なぜ、それを僕に言おうと思ったのですか?

 

と聞いたら「理由なく疑う事は無いと思ったので」

 

と話してくださる事もありました。

 

人に伝えたいけど理解してもらえない

人に伝えたいけど聞いてもらえない

 

という様な方は沢山居て

そういう人たちが実はとても大切な事を知っていたりもします。

 

なので

どんな内容もまず否定せずに疑わずに聞いてまずは信じる。

信じた後「青いフィルター」にかけてみて

とことん信じていく時に、何か違和感があったらそこは聞いてみる。

 

不思議な事でそれらを組み合わせると一つの大きな筋が視えたり

物事の表と裏がつながるような経験をしたりと

 

不思議と沢山のモノが視えるようになっていくんですね。

 

僕は有るか無いかが判断できない、知ることが出来ないモノに関しては

基本的に「有る」と信じる事にしています。

 

そうすることで自分の思考の幅を広げることが出来るからです。

 

 

人を信じる事を始めてみる

 

世の中には騙されたという情報は沢山でるのに

人を信じて良いことがあったというのはあまりありません。

 

それは日常生活には信じる事がありふれていて

騙されるという事はそれ程、多くないからっだと思います。

 

ただ、1回でも騙される事があると

「もう騙されたくない」と疑うようになり

今は隣の人も信じることが出来ない世界になりつつあります。

 

ただ、人としての本質は「信じる」という事に僕はあると思います。

なので、まずは人を信じる事から僕はスタートしたいですし

 

もし、世界が「疑う」事から始まるのでしたら

僕自身が最初に「信じられる」様な人間でありたいと思っているのです。

 

そう、青色の様に。

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

青色一つで世界と日本を繋ぐブルークリエイター。シンガポール在住。信頼と本質を第一にして、日本と海外、オンラインとオフライン、投資とビジネス、それぞれのネットワークをフルに活用してあらゆる業種の人と一緒に次世代の日本人ネットワークを構築し、青い和を持つ日本人を復活させるための青和人プロジェクトを進めている。